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八紘一宇の意味とは?簡単にわかりやすく解説!築地にある碑は何?

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2015年3月、自民党参議院議員の三原じゅん子さんがこの「八紘一宇」について参院予算委員会で言及し、物議を醸したことで注目されるようになりました。

八紘一宇とは、ごく簡単にいうと、「世界の国々を1つの家族のように考えよう」という考え方のことをいいます。

この言葉は、太平洋戦争中に日本軍によって使用されたスローガンでもあったため、「戦前の軍国主義への回帰だ!」と批判されたのです。

今回は、この八紘一宇という言葉の意味について簡単にわかりやすく説明しましょう。

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八紘一宇の意味とは?簡単にわかりやすく解説!

八紘一宇

八紘一宇という言葉は、もともとは「日本書紀」に由来がある言葉です。

日本書紀の中での八紘一宇の意味は、ごく簡単にいうと「天皇陛下のもと世界が一つになるべきだ」という思想を表す言葉です。

八紘が「8つの方位、天地を結ぶ8本の綱」を表し、一宇が「一つの屋根」という意味を表します。

戦争に用いられた「八紘一宇」

この八紘一宇は、本来は歴史書である「日本書紀」の中の表現に過ぎなかったのですが、第二次世界大戦がはじまると軍部によってつごうよく持ち出されるようになります。

八紘一宇という言葉の「世界を一つにする」という考え方が、アジアへの日本の軍事的進出を正当化する根拠とされたのです。

つまり、天皇陛下のもと、東アジアの世界を一つにするという世界観を表したものとして多用されたというわけです。

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三原じゅん子氏の「八紘一宇」発言は何が問題?

↑※八紘一宇に関する話は24分34秒あたりから。

2015年3月の参院予算委員会において、参議院議員の三原じゅん子による「八紘一宇」発言は一時マスコミで大きく取り上げられました。

しかし、なぜそれほどまでに八紘一宇が問題になるのでしょうか。

ここでは、戦後になってから八紘一宇という言葉が持つ意味がどう変わったのか解説します。

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八紘一宇の解釈

三原じゅん子議員は、参議院議員予算委員会で八紘一宇という言葉を使って演説を行い、一部の人々から批判されました(誰がどのような意図で批判しているのか?については後で見ます)

これはジャーナリストの清水芳太郎という人によって昭和13(1938)年に書かれた「建国」という文献を引用したものです。

(2015年3月16日、参院予算委員会にて)

八紘一宇とは、世界が一家族のように睦み合うこと。
一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。
一番強いものが弱いもののために働いてやるのが家である。
これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。
現在までの国際秩序は弱肉強食である。
強い国が弱い国を搾取する。
力によって無理を通す。
強い国ははびこって弱い民族を虐げている。
世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界が平和になる。

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これは「建国」という本をそのまま読んでいる訳ではなく、三原じゅん子さんがご自身の理解のもとに要約したものです。

この部分を引用して「現在のグローバル資本主義の中で日本がどうたち振る舞うべきかというのが示されている」と発言しました。

トランプ政権が「アメリカ第一」をかかげたことをきっかけに世界各国が「自分の国が一番」という考え方にかたむきつつありますが、その風潮を危惧しての発言と思われます。

上の引用文で「一番強いものが弱いもののために働いてやるのが家である」とあるように、東アジア一帯で存在感の強い国である日本が、他の国々をリードしていくべきだという考え方を示したかったというのが三原さんの意図なのでしょう。

八紘一宇に対する海外の反応は?

八紘一宇

八紘一宇は日本のアジア侵略と結び付けられて解釈されるため、現在でもアジアの国々では八紘一宇という言葉を悪い言葉としてとらえる傾向があります。

戦後に日本を支配したGHQは、八紘一宇という言葉の公文書での使用を禁止したという経緯があります。

八紘一宇は中国・朝鮮半島の人々にとって禁止ワード?

しかし、上でも見たように、この言葉は戦時中に軍部によって多用された言葉という経歴があるものです。

そのため、戦時中の日本のふるまいについて批判的に考える人たちにとっては神経を逆なでされるような言動と理解された向きがあります。

日本の軍事的な存在感が増えることを何よりも嫌がっている中国や北朝鮮・韓国といった国々(と、彼らとの協調を重要視するべきだと考える日本国内の人たち)にとっては、まさに八紘一宇は「禁止ワード」だったというわけです。

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八紘一宇の碑とは?

東京築地本願寺横の八紘一宇の碑を一度は目にした方もいるでしょう。

また、宮崎県宮崎市の平和台公園には「平和の塔」と呼ばれる塔がありますが、この塔に大きく「八紘一宇」と書いてあります。

今までに「なぜこんなところにこんな塔があるの」と思われた方もいるかと思います。

ここでは八紘一宇の碑や塔の由来に関して解説します。

①築地の「八紘一宇の碑」

築地の八紘一宇の碑は1940年に築地門跡青年団によって建立されたものです。

1940年、日本では紀元2600年を記念して日本中でお祝い行事が至るところで行われました。

1940年は、初代の天皇・神武天皇が即位してからちょうど2600年にあたる年でした。そのため、その2600年を記念してお祝い行事が行われたのです。

なぜこの築地の地にあるかは不明ですが、これはそれを記念して建てられたものです。

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②宮崎の「平和の塔」

宮崎県宮崎市の平和台公園には現在、平和の塔と呼ばれる塔があります。

正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」といわれるもので、戦前には八紘台とも呼ばれていたそうです。

この塔も紀元2600年を記念して建立されたもので、日本軍が各地から持ち帰った石が建立の際に使われたといわれています。

戦後は一時、八紘一宇の字が消されたこともありましたが、復元されて現在でも八紘一宇の字を見ることができます。

1979年、昭和天皇が宮崎を訪問した際、この塔の前での祝典が開かれる予定でしたが、出席を固辞したそうです。

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まとめ

八紘一宇

今回は八紘一宇という言葉について簡単に解説しました。

八紘一宇は「日本書紀」の記述を起源にした言葉でしたが、戦争中はプロパガンダとして使われたことから今日ではあまり使用しない方が良いかと思います。

「八紘一宇」という意味を理解した上で、日本の歴史に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

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