ルサンチマンとは「恨み・嫉妬」を表す哲学の用語です。
例えば「他人のルサンチマンに触れる」という表現をした場合には、「その人が持っている劣等感やコンプレックスに触れる」という意味があります。
この言葉は有名な哲学者ニーチェの「神は死んだ」「超人主義」という言葉と密接な関わりがあることをご存知でしょうか。
以下では、そのルサンチマンという言葉のくわしい意味についてみていきましょう。
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哲学者ニーチェのいう「ルサンチマン」の意味
哲学者ニーチェは、「ルサンチマンを持つ人」を以下のように説明しています。
ルサンチマンを持つ人=「実際の行動での反応が許されていないので、想像の中で復讐をして、憂さ晴らしをしている人」
簡単に言えば、「ムカつくことをされても実際に殴り返すことはできないので、妄想の中で相手をボコボコにして気を晴らしているような人」ということですね。
つまりどちらかというと「ムカつくことをされたというストレスを健全ではない方法で処理している人」という意味になります。
この「恨みや嫉妬などのストレスを不健全な方法で処理している」という意味合いを含んでいるのが、ルサンチマンの大事なポイントです。
続いて見てみましょう。
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ルサンチマンを裏付ける奴隷道徳
ルサンチマンをもっと深く理解するために、奴隷道徳という言葉を見てみましょう。
ニーチェはキリスト教の道徳は奴隷道徳と言いました。
キリスト教は弱者の救済をモットーとしてますよね。
強者、つまり権力や武力や財力がある人がそうでない弱者を虐めているとします。
そのとき弱者はキリスト教の教えにのっとって、「強者は自己中心的で傲慢で支配的な悪いヤツで、弱者は協調性や忍耐や思いやりや慈悲のある善い市民である」と批判します。
これによって、自分たちは罪深い悪者の強者を許す優位な立場であると考えるのです。
そうすることでキリスト教信者達は「自分たちが虐げられている」というストレスを乗り越えようとしている、という考え方です。
ニーチェはこれを奴隷の道徳だとして批判しました。
現状を変えようと努力するのではなく、悪者と善い市民という別な価値基準を当てはめて自分を誤魔化すことで、ストレスを解消しているからです。
このように自分たちの道徳で人間の価値を決めてストレスから逃げ、努力で現状を打開しようとしなくなった人々の姿勢を批判して「ルサンチマン」と呼んだのです。
「超人主義」でルサンチマンを乗り越える
ルサンチマンは強者への嫉妬や虐げられることへの恨みを指し、それが差別などの問題につながっていることが指摘されています。
誰もが持つとも言われるこのルサンチマンを乗り越えるための方法として、ニーチェは「挑戦者であること」を提唱しました。
「弱者の自分は善い市民で、強者は傲慢で罪深い人間だから良い」で済ますのではなく、正面から努力して乗り越えるために常に「挑戦し続けること」こそ大切だと説いたのです。
ここで大切なのは「成功者であれ」ではなく「挑戦者であれ」であるということです。
成功せずとも挑戦し続けることがルサンチマンを乗り越え人間として健全な成長を促すとしました。
ニーチェは挑戦し続ける人のことを超人=ウーヴァーメンシュと呼んだので、超人であるべきというこの主張を超人主義と呼びます。
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ニーチェの「神は死んだ」とルサンチマンの関係
日本人がニーチェを知るきっかけにするのは「神は死んだ」という言葉でしょう。
これは簡単に言うと「神の道徳に頼り切りではこれから先は時代についていけないので、神の道徳から人が離れいずれ信仰心は消え神は死ぬだろうから、神はもう死んだと言っても良い」という意味です。
上でも説明した通り、奴隷道徳の人はルサンチマンを「弱者は善い、強者は悪い」で誤魔化してまったく努力をしません。
成長もしなければ集団で没個性的に生きるしかなく、どんどん力を失っていきずっと弱者のままだとニーチェは言っています。
それを批判して端的かつ力強く、現代で言えば主語を大きくパワーワードにしてキャッチフレーズ化した言葉がこの「神は死んだ」なのです。
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ルサンチマンの現代の影響
「ルサンチマンってこんなに現代でも悪いものの元になってるんだ~」くらいに読み流してください。
ルサンチマンは共産主義や社会主義などに代表される20世紀の政治イデオロギー、ナショナリズムやアンデンティティ・ポリティクス、ポストモダニズム、独善的主張がまかり通っていること、組織防衛的な考えが広がっていること、近代の差別や社会的対立などに関係していると考えられています。
私達はルサンチマンをどう乗り越える?
ニーチェよりあとに出た哲学者も何人もこのルサンチマンという言葉を使い、よく「誰にでもルサンチマンはあるものだ」と説きます。
会社で上司や同期に嫌がらせをされたり、学校でいじめられたり、部活にどうしても越えられない卓越した技能を持った人が居たり……そういう「ルサンチマン」を私達も数えきれないほど感じてきたはずです。
では私達はルサンチマンをどうやって乗り越えるべきでしょうか?ニーチェの言う通り挑戦者であるべきなのでしょうか?
ここで押さえておいてほしいポイントは大きく分けて2つです。
1つは超人主義の行く先は過激な競争社会だということです。
倫理やルールを無視して人々が自分の理想の実現を最優先にしたら、起こるのは奪い合い、競争です。
キリスト教はそうした部分に折り合いをつけて、人々の調和を大切にするために様々な努力をしてきたという一面を忘れてはいけません。
そして2つめは、価値基準に騙されてはいけないということです。
「弱者は善、今日じゃは悪」という価値基準が弱い自分を守ってくれるから、この価値基準が大事!この価値基準に価値がある!
と、盲目的に「基準そのもの」に価値があると思ってしまうと様々な問題を引き起こしてしまいます。
マルク・アンジュノはルサンチマンの反動的な影響から自分を保護する最良の方法は、過去を反省したり未来に希望を持つことだと言いました。
ルサンチマンをどう乗り越えるかという答えは、自分で見つけなければいけません。
それはニーチェが光を当てた私達の人生の最大のテーマのひとつでもあるのです。
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現代でルサンチマンという言葉を使う場合の具体例
先日Twitterで「(このツイートが)君のルサンチマンに触れてしまったか」という文章を見ました。
この場合のルサンチマンとは強い劣等感やコンプレックスに近い使用例ですね。
コンプレックスやルサンチマンは誰にでもあるのでこの文章の場合は同情という意味合いも感じ取れますが、難しい用語を使っての皮肉という意味合いもあると思います。
またルサンチマンは元々はそういった嫉妬心や恨みを批判的に指した言葉で、ルサンチマンを持つと言うことは愚かな行為とされていたので、ルサンチマンという言葉を使うときは相手を馬鹿にした感じになっていないか気を付けましょう。
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