菩提心とは、簡単に言うと「悟りを得よう」決意する気持ちを持つことをいいます。
菩提心の意味
仏教で「悟りを得よう」と決意する気持ちのこと
「菩提」というのは「悟り」のことで、もともとはサンスクリット語のbodhi(ボーディ)から来た言葉です。
「菩提(ぼだい)=ボーディ」と、発音が似ていますよね(漢字は、サンスクリット語を中国語に翻訳するときに音に合わせた当て字です)
仏教の伝えるところでは、お釈迦様は菩提樹の木の下で悟りを開きました。
悟りというのは、世の中に関する真の知恵を得ること、迷いを超越して真理に到達すること、と考えてよいでしょう。
この記事では、お釈迦様の開いた悟りとはどんなものなのか、ということを通して菩提心の意味とその中身について解説します。
仏教に関心がある方はぜひ参考にしてみてくださいね。
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菩提心とは何か
上にも書きましたが、菩提心(ぼだいしん)というのは仏教の言葉で、悟りを得ようとする心のことを言います。
「悟りを得る」というと、お経を勉強すること?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、仏教では経文を読んで内容を理解するだけではだめなのです。
仏教で言う「悟り」は、言葉で伝えられるものではなく、その人が行を通して体得するものだからです。
行を継続するためには「悟りを得よう」という気持ち(=菩提心)を継続させなくてはなりません。
そのため、仏教では菩提心を持つことがとても重要視されているのです。
仏教は「悟り」とは何かということを、あなたの菩提心を通して学ばせてくれます。
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悟りとは何か
お釈迦様のようなとても偉大な方が、何年も修行してようやく体得した真理に、私達のような凡人が到達することができるのでしょうか。
仏教ではこの世の中のすべての物事は、お互いに関係しあってつながっていると考えます。
このお互いの関係は人がそれに対することで生じるもので、もともと存在しているものではない。
すなわち、存在はそもそも無であって関係というのは意識の執着である、というのです。
このことを理解して、存在や執着を超えてあるがままの世界を受け入れる態度が「悟り」の道を進むことになります。
このために最も重要な一歩が、悟りの道を得ようと意識することであり、これが「菩提心」です。
「菩提心をおこすこと」とは何か
上でも見たように、菩提心をおこすというのは「悟りを得るために修行をしよう」という気持ちを持つことです。
悟りを求めるための、まさにその第一歩が菩提心を持つことなのです。
まず、やってみようと思わなければ何も始まりませんよね。
菩提心を起こすことを発菩提心、または単に「発心(ほっしん)」と言うことがあります。
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菩提心と慮知心の関係
この菩提心を起こす心の働きを生み出すものが「慮地心(りょちしん)」です。
悟りへの道というのは、人々の心が菩薩の心と相通じることによって起こるものとされます。
菩薩(ぼさつ)というのは、仏がこの世に現れている姿、と考えてください。
自分自身が菩提に達して救いの道に至る前に、他の全ての人を悟りの道へ渡そうとする心。
すなわち、自分のための欲を離れることで執着を超え、この世の悩み苦しみに煩わされないように生きることを自分自身で導くこと。
菩提心は慮地心によって惹き起こされるものでなければなりません。
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菩提心と即身成仏の関係
一般に菩提心をもって悟りへの道を追う修行は大変長い時間がかかる、と考えられています。
長い修行の果てに仏になることを目的とするもので、人の一生を超えるような永い時間を求める場合もあります。
しかしながら、宗派によってはより短い時間の行を通じて達するものとする場合があります。
例えば真言宗では、人が生きている現在の生の間に、その身のままで悟りを得て仏になることを修行の到達としています。
このような考え方を「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」といいます。
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密教と菩提心
仏教の歴史のなかで、特に密教において菩提心は重要なものとして扱われて来ました。
日本では特に空海(弘法大師)が伝えた真言宗において、悟りに到達する方法として詳しく論じられています。
菩提心を進めて修行をすることで、仏になる=「成仏」を目指します。
密教の理念と悟り
密教では、人の心と仏の心を通じさせるための手がかりとして「三業」という考えを導入します。
三業とは自分の身、語、意を指します。
身体の行い、言葉、そして心で仏と通じるということです。
体で通じるために「印」を結び、言葉で通じるための「真言」を唱えて、心を仏と一つにできるといいます。
これを「三密」といいます。
最終的に自分の三業が仏の三密につながって日常を送れるようになれば即身成仏に至ったことになります。
三つの菩提心
菩提心を菩提へと進めていく上で、行われる修行として3つの型があります。
それは、①智慧の働き・②慈悲の働き・③瞑想の働きという3つの修行です。
それぞれが菩提心につながっていて、勝義の菩提心、行願の菩提心、三摩地の菩提心と名づけられています。
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悟りに到達するはしご
空海の「菩提心論」という書があり、これによると悟りに達するには順序を追って修行の階段を上る必要があります。
第一が自分のなかにある「命の知の力」に気づくこと、これが「通達菩提心」
第二が月輪の影のなかに命の知の力を映し見ること、これが「修菩提心」
第三が映し出された命の知の力のなかにあらゆる生き物の命の原理を見出すこと、これが「成金剛心」
第四がその命の原理によって動かされている自分の体を見ること、これが「証金剛心」
そして第五が命の知の力が体に働く作用に目覚め、その働き完成させること、これが「仏身円満」
この順序を全うすることで、命の知の力が体と一体になる、と考えられています。
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まとめ
今回は仏教の言葉、菩提心について解説しました。
お釈迦様のもともと考えていた悟りというのは、修行する人が自分の力で到達すべきものでした。
これを世の中の人々にも広めて救いとしようという仏教の流れのなかで、菩提心と悟りの関係が重要なものになっていきます。
日本では密教の教えの中で、言葉や動きとしてシンボル化されます。
世の中と自分の心に迷いが生じたとき、菩提心という言葉を思い出してみてくださいね。
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