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歴史の話

フランク王国の歴史:カール大帝の活躍と分裂の理由・ローマ帝国との関係は?

世界史の教科書で登場する「フランク王国」ですが、この国は今のフランスやドイツ、イタリアのもとになった国だということをご存知でしょうか。

この記事ではフランク王国の歴史や現代に与えている影響についてくわしく説明します。

「フランク王国といえばこの人」ともいえるカール大帝の活躍についても紹介していますので、ぜひ参考にしてみて下さいね。

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フランク王国の歴史:そもそもどんな国?

フランク王国

まず、フランク王国がどんな国なのかを簡単に説明します。

フランク王国は、今から1500年くらい前のヨーロッパにあったとても大きな国です(今のフランス・ドイツ・イタリアをあわせたぐらいの大きさの国)

後に分裂してしまいますが、分裂後の各国は今のフランスやドイツ、イタリアといった国の原型になっていきます。

どんな人が住んでいたの?

フランク王国に住んでいた人は今のヨーロッパに住んでいる人のご先祖様です。

歴史の言葉で「ゲルマン人」と言います。

具体的な特徴は、金髪で目が青い、背が高いところです。

私たちがよくアメリカやヨーロッパの人として思い浮かべる人達でしょう。

ただし、フランク王国に住んだ人々は「ゲルマン人」の一部で、フランク王国の人は「フランク人」と呼ばれました。

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フランク王国を建てたのは誰?

フランク王国

(クローヴィス)

フランク王国の最初の王様はクローヴィスという人です。

元々フランク王国は、フランク人が当時ヨーロッパを支配していたローマ帝国の土地(領土と言います)をうばって建てた国です。

一人が建てたわけではなく、この人が建てたと言うことはできませんがフランク人が建てたから「フランク王国」が出来たのです。

フランク王国はローマ帝国の後にヨーロッパを支配した国

フランク王国は戦争で領土を広げ、最大でヨーロッパの大部分を支配します。

最初は現在のフランスとドイツの部分だけでしたが、次第に今のスイスやデンマークとなる場所もフランク王国になります。

フランク王国が出来た時は、ヨーロッパはローマ帝国が支配していました。

しかしローマ帝国は衰退していき、次のヨーロッパの支配者となったのがフランク王国だったのです。

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フランク王国といえばこの人!カール大帝の活躍

フランク王国

(カール大帝)

フランク王国で有名な人といえば、カール大帝です。

学校の世界史でもお話に出ますが、カール大帝はどんな人なのでしょうか。

西ヨーロッパを支配したフランク王国の王様

カール大帝はフランク王国の王様で、国の領土を最大にまで広げた人です。

フランスではカール大帝のことを「シャルルマーニュ」と呼んでいます。

フランスとドイツ両国の英雄で、今でも彼を敬う人は多いです。

また、キリスト教においても英雄として扱われていて、中世以降は「ヨーロッパの父」とも呼ばれています。

実際、カール大帝はキリスト教の聖人となっています。

カールの戴冠って何?

フランク王国

800年のクリスマスに行われた、教皇レオ3世からローマ皇帝に任命された出来事です。

つまり、カール大帝はフランク王国の王様でありながら、ローマ帝国の皇帝にもなったのです。

しかし、当時ローマ帝国は東西に分かれており、カール大帝がなったのは西ローマ帝国の皇帝です。

もう一方の東ローマの皇帝は、カール大帝がローマ皇帝とは認めませんでした。

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フランク王国が分裂した理由とその後のヨーロッパ

フランク王国

フランク王国は戦争して大きな国になりましたが、後に王国は分かれてしまいます。

せっかく領土を広げたのに何故なのでしょう?

フランク王国が分裂してしまった理由を簡単に説明します。

フランク王国の分裂は国の伝統!?

ヨーロッパでは親が亡くなって子供が家を引き継ぐ時、子供の数だけ土地や家畜を公平に分けるのが伝統でした。

これを「分割相続」といい、王族も同じことが起こります。

王様が亡くなると、遺された国の領地は次に家を引き継ぐ王子様の数だけ領地も分割された
のです。

これにより、フランク王国は分裂してしまいます。

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最終的にフランク王国は三つに分かれて滅亡

結局、フランク王国は三つの国に分かれた後に滅亡します。

始まりはカール大帝を引き継いだルートヴィヒ1世の相続問題でした。

ルートヴィヒ1世には三人の息子がいました。

王様は長男がなり、他二人は辺境を管理してもらうという約束でした。

兄弟もそれで納得していたのですが、その後四男のシャルルが生まれます。

シャルルにも土地を与えたいルートヴィヒ1世は相続の約束を白紙に戻してしまいます。

これに三人の兄達は怒り、国は大混乱。

その内ルートヴィヒ1世と次男が亡くなり、残った三兄弟で王国は東・西・中部の三つの国に分かれてしまいました。

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現在はフランス・ドイツ・イタリアに

三つに分かれたフランク王国はその後、三国とも王族の血が途絶えてします。

そうなった場合は別の大きな力を持っていた一族が王族となります。

同時に国の名前も変わっていきました。

西フランク王国は現在のフランス。

東フランク王国は現在のドイツ。

中フランク王国は現在のイタリアになります。

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まとめ

フランク王国

今回は、フランク王国の歴史について紹介しました。

フランク王国はフランスやドイツ、イタリアとヨーロッパの中で大きくなる国を生み出したという意味でとても重要な国です。

ヨーロッパの勉強をする際に参考にしてみて下さいね。

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