セオリーとは、ごく簡単にいうと「理論」を意味する言葉です。
例えば、「野球のセオリー」というと「野球に関する理論」という意味となります。
また、筋道立てて物事を説明できる人のことを「あの人は理論派だ」というように評価することもありますね。
この記事では、セオリーという言葉の意味や使い方について、例文を使ってくわしく説明しますので、ぜひ参考にしてみてください。
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セオリーの意味をわかりやすく解説!
上で説明したように、セオリーとは漢字で言うと「理論」のことで、「理論」とは、筋道をたてて説明できるひと固まりの知識のことを言います。
筋道をたてて説明するというのは、「~はAです」「~はBです」というように複数の事実があって、さらに「AとBの関係はこのようになっています」と関連付けて説明できることですね。
つまり、ある分野についての理屈の集合体が「理論」ということが言えるでしょう。
例えば、マーケティング理論(マーケティング・セオリー)と言えば、マーケティングという1つの分野について説明した理屈の集まりのことです。
経営理論(マネジメント・セオリー)と言えば、経営についての理屈の集まりのことになります。
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セオリーの使い方を例文で紹介
セオリーの具体的な使い方としては次のようなものがあります。
例えば、「男女の仲はセオリー通りにはならない」という場合、男女関係というのは、筋道立てて説明することはできないという意味となります。
男と女という関係は、筋道立てて説明できるようなものではないのだということですね。
さらに、「人生の意味はセオリーで説明できない」という場合、人生の意味を筋道立てて説明することはできないということです。
人生の意味は人それぞれ違っているので、セオリーによって筋道立てて説明しても、それがその人に合っているかどうかはわからないのです。
最後に、「セオリー通り!」という場合には、自分が考えていた通りとなったことを意味しています。
自分の考えていた通りになったということは、それについて自分で筋道立てて説明できるということと同じ意味です。
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ビヨンド ザ セオリーの意味とは?
ビヨンドザセオリーとは、「理論的に説明することができないこと」という意味です。
「ビヨンドザ~」とは英語で「~を超える」という意味ですね。
なので、ビヨンドザセオリーとは、理論を超えている、理論では説明できないということと同じ意味になるのです。
ごく簡単に言えば、お手上げ状態だ、といいたいときにも使う言葉ですね。
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セオリーの語源・もともとの意味は?
セオリー(theory)という言葉は、もともとギリシャ語の「theoria(テオーリア)」という言葉からきています。
テオーリアというのは、ギリシャの有名な哲学者であるアリストテレスが用いた言葉です。
アリストテレスによれば、テオーリアとは「真理そのものを見る」ことを意味していました。
「真理そのものを見る」とは、簡単に言えば、何が真実なのかがわかるということです。
それが転じて、現在では、セオリーという言葉によって、筋道立てて説明できるという意味となったのです。
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科学におけるセオリーの意味とは?
科学におけるセオリー(theory)とは、「原因と結果の関係」を単純化して説明するものです。
例えば、売上を上げるためにはお客さんの満足度を高めればよいという理論がある場合、お客さんの満足度を高まると、売上が上がるという原因と結果という関係があることになります。
このように、原因と結果を単純化して筋道立てて説明することができるのが科学におけるセオリーの役割です。
科学における理論の別の意味
また、科学における理論とは「論じるべき理(ことわり)」のことをいう場合もあります。
ここで言う理(ことわり)とは、何らかの法則を意味しています。
だから、「論じるべき何らかの法則」を説明するものが理論です。
理論的というのは、論じるべき何らかの法則性について説明できているということを意味しているわけですね。
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まとめ
今回は、セオリーという言葉の意味について解説しました。
本文で紹介しましたが、セオリーとは筋道立てて説明できることです。
筋道立てて物事を説明できる人は頭が良い人です。
頭が良い理論派だと思われたいなら、ぜひ理論の正しい意味を知っておくようにしたいものですね。
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