みなさんは、親戚のおじさんや職場の上司が、椅子から立ち上がる時などに「よっこいしょういち」と言っているのを聞いた事はありませんか?
そして、その意味がわからず笑顔で受け流した方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?
しかし、漫画「ワンピース」の作者によるこの言葉に関する不謹慎炎上問題で、最近「よっこいしょういち」がにわかに注目を浴びています。
この記事では「よっこいしょういち」という言葉の由来や元ネタ・語源などをわかりやすく説明します。
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よっこいしょういちの元ネタ
よっこいしょういちは、昭和50年代にギャグとして流行した言葉です。
ここではそのなりたちと背景についてくわしく見ていきましょう。
もともと、よっこいしょういちという言葉は「横井庄一(よこいしょういち)」という人物に由来しています。
1972年(昭和47年)、終戦を知らずにグアムのジャングルで28年間も潜伏生活を続けていた残留日本兵が帰還しました。
その日本兵が横井庄一さんです。
当然、この出来事は日本中を震撼する大ニュースとなり、横井さんが帰還時に発した言葉を元にした「恥ずかしながら帰って参りました」が、その年の流行語となるほどでした。
全国的知名度となった「よこいしょういち」という名前と、「よっこいしょ」という掛け声の響きが似ている事から、自然とくっついて「よっこいしょういち」という言葉が誕生したのです。
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横井庄一さんについて
そんな社会現象を巻き起こした横井庄一さんとは、どんな人物だったのでしょう。
横井さんは1915年(大正4年)、愛知県に生まれました。
20歳で徴兵され、1944年(昭和19年)に、陸軍伍長としてグアムに派遣されます。
そして、その年の「グアムの戦い」で戦死したと戦死公報で報告されました。
グアム潜伏から帰国まで
戦死されたとされる横井さんですが、実際はジャングルに撤退して1人でゲリラ戦を続けていました。
1945年の終戦の知らせはジャングルまでは届かず、横井さんはそのままグアムで戦い続ける事になります。
それから28年後の1972年(昭和47年)、食料を獲りに行った横井さんと現地住民が遭遇。
これを機に、横井さんは57歳で日本に帰国する事になりました。
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帰国から死去まで
帰国後の横井さんは、自身の体験を語る講演会や著書の執筆活動などを行います。
1974年(昭和49年)には、参議院議員選挙に立候補しますが落選。
この頃から、全国的だった横井さんブームも終息して行きます。
そして1997年(平成9年)、心臓発作により死去。
82歳でした。
現在は、名古屋市の私営記念館に、横井さんのサバイバル生活を復元した品が展示されています。
最初に言い始めたのは誰?
よっこいしょういちは一体誰が最初に言い始めたのか、気になりますね。
しかし、実際にはだれか特定の芸人さんや俳優さんが言い始めた言葉というわけではありません。
また、流行し始めた時期についても、横井さん帰国直後の大ブームの時からだという説と、横井さんブームが終息してからだという説があり、これも今となっては定かではありません。
これらのことから、当時、横井庄一という名前があまりに社会に定着していたため「よっこい、と言えば、しょういち」という連想ゲームのような感じで、全国的に自然発生したものという可能性が高いでしょう。
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よっこいしょういちは不謹慎?
この「よっこいしょういち」が今、漫画「ワンピース」の作者の不謹慎事件により注目されています。
ここでは、この問題を通して果たして本当に不謹慎なのかどうかを考えてみましょう。
「ワンピース」の不謹慎事件の経緯
事の発端は「ワンピース」の作者、尾田栄一郎さんが、単行本89巻の作者からのメッセージ部分に、横井さんを笑い者にするようなコメントを書いた事です。
そのコメントはどのようなものかと言うと、食卓で一つだけ残ったからあげを横井さんに例えた下記のような内容です。
「横井軍曹残ってるよ!誰か戦争を終わらせて!」的な。
このコメントを読んだ読者から「国のために頑張った人を馬鹿にしている」「実在の人物を茶化すな」といった批判が続出し、ネット上が炎上しました。
また、コメントだけでなく、描かれた似顔絵にも「小野田少尉では?」という疑惑の声が上がり、炎上に拍車をかける要因に。
しかし、これに反して「過剰に反応し過ぎ」「そこまで馬鹿にしているようには思えない」といった意見も出ており、読者が「不謹慎」という意見で一致している訳ではない事も事実です。
出版元の集英社では、このコメント欄に関する反省文を公式サイトに掲載しました。
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流行当時と現在の受け止め方の違い
現在、このように不謹慎という声が上がっていますが、では「よっこいしょういち」が流行っていた当時はどうだったのでしょう?
よっこいしょういちは、お世辞にも横井さんを敬うような言葉ではありませんよね。
正直に言って周囲の笑いを誘う目的で使われる表現ですが、それが横井さん存命中に一般的に使われていたのです。
それにもかかわらず、これまでに「よっこいしょういち」という言葉が不謹慎であるとか、言うべきではない、といったような批判や問題が起こったことはありません。
今現在「よっこいしょういち!」とうっかり言ってしまうおじさんたちも、そこまでの問題意識は持っていないはずです。
結論としては、この不謹慎事件の最大の問題点は、有名な作家が公のメディアで表現してしまった事にあります。
尾田栄一郎さんが、居酒屋で友人との会話で言ったなら問題はなかったでしょう。
やはり、出版社がもっと慎重に対応するべきだったと言えますね。
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よっこいしょういちは死語?
結論から言うと、よっこいしょういちは死語ではありません。
なぜなら、1980年代に流行った「ナウい」や、まだ記憶に新しい「チョベリバ」などが全く使われない事に対し、よっこいしょういちは今でも様々なところで耳にするからです。
では、どのように使われているのか調べてみましょう。
よっこいしょういちを使う世代
よっこいしょういちが流行したのは昭和50年代(1970年代)なので、だいたい
以下のように予想されます。
年代別:よっこいしょういちという言葉への印象(予想)
- 50代後半以上:自然に使ってしまう
- 50代前半:うっかり使ってしまう
- 40代:意味はよくわからないがネタで使う
- 30代以下:まったく意味がわからない
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あたり前田のクラッカーとの比較
よっこいしょういちと並び、よく死語として扱われる「あたり前田のクラッカー」ですが、実はよっこいしょういちとは誕生した背景が全く異なります。
「あたり前田のクラッカー」というセリフは、1960年代に前田製菓の提供で放映された人気時代劇「てなもんや三度笠」のCMから生まれました。
同年代に流行ったと思い込まれがちな二つですが、約10年のギャップがあるんですね。
あたり前田のクラッカーは、主演の藤田まことさんが商品を片手に言ったキャッチコピーとして有名になりました。
どこからどう生まれたのか不明のよっこいしょういちとは正反対に、あたり前田のクラッカーは、プロたちによってしっかりと作り上げられたフレーズだったのです。
この商品は今でも販売され、あたり前田のクラッカーというコピーもパッケージに使用されています。
この点で、あたり前田のクラッカーも死語とは言えないのかもしれませんが、日常生活で活用されているよっこいしょういちの方が、生きた言葉だと言えますね。
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よっこいしょういちを使ったドラマや漫画
よっこいしょういちは、最近のドラマやアニメの中でもさり気なく使用されています。
それが、今の若者たちにも「意味不明」ながらもなんとなく認知されている理由と言えるでしょう。
よっこいしょういちが使われた代表的な作品は以下の通りです、
よっこいしょういちという言葉が使われた代表的作品
- ドラマ:「トリック」「ホタルノヒカリ」
- アニメ:「らき☆すた」「銀魂」「涼宮ハルヒの憂鬱」
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まとめ
今回は「よっこいしょういち」という言葉の由来や元ネタについて解説しました。
よっこいしょういちの語源となった横井庄一さんについては、本文でも触れた小野田少尉と混同してしまう方が多いかと思います。
小野田さんは1974年に日本に帰還しました。
二人の区別の方法としては、グアムから帰還したのは横井さん、フィリピンからは小野田さん、と覚えておけばわかりやすいでしょう。
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